ウェイン・ファリス

ウェイン・ファリス(Roy Wayne Farris、1953年1月25日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。テネシー州メンフィス出身。ジャンプ・スーツにリーゼントという、後期エルヴィス・プレスリーのビジュアル・イメージを真似たショーマン派のヒール、ホンキー・トンク・マン(The Honky Tonk Man)としての活躍で知られる。

WWEのカラー・コメンテーターであるジェリー "ザ・キング" ローラーとは従兄弟の関係にある。

ウェイン・ファリス

1970年代後半、地元のテネシー地区にて本名のウェイン・ファリス名義でデビュー。当時は長髪のブロンド・ヘアーで、往年の名タッグチームであるリップ・ホーク&スウェード・ハンセンやレイ・スティーブンス&パット・パターソンにあやかり、ラリー・レイザムをパートナーにブロンド・ボンバーズ(The Blond Bombers)を結成。1979年6月15日、ジェリー・ローラーとビル・ダンディーの人気チームを破り、AWA南部タッグ王座を獲得した。

1980年6月にレイザムとのコンビで国際プロレスへの来日が発表されるが実現せず、チームを解散してプエルトリコWWCに転戦。プエルトリコではダニー・コンドリー(Danny Condrey)と名乗り、10月11日にダッチ・マンテルと組んでカルロス・コロン&ホセ・リベラからWWC北米タッグ王座を奪取。12月20日にはチーフ・ジェイ・ストロンボーを破りカリビアン・ヘビー級王座を獲得している。

翌1981年3月、全日本プロレスの第9回チャンピオン・カーニバルにて初来日を果たす。アブドーラ・ザ・ブッチャーブルーザー・ブロディが参加したリーグ戦においてはキャリア不足もあって最下位の白星配給係に甘んじ、ブロディに秒殺された試合は語り草ともなったが、元NWA世界ヘビー級王者ジャック・ブリスコを相手に30分戦い抜き、時間切れ引き分けに持ち込むなど健闘もしている。ブリスコはこの試合の失点が響き、決勝進出を果たせなかった。

1982年はアラバマのサウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリングを活動拠点に、9月11日にオースチン・アイドルを破ってNWAアラバマ・ヘビー級王座を獲得[9]。12月にはロバート・ギブソンからUSジュニアヘビー級王座を奪取したが、体重制限オーバーのため剥奪されている。同地区ではロン・スターやランディ・ローズと共闘し、ボブ、スコット、ブラッドのアームストロング・ファミリーと抗争した。

1983年よりカナダ・カルガリースタンピード・レスリングに主戦場を移して、地元メンフィスの英雄エルヴィス・プレスリーの偽物、ホンキー・トンク・ウェイン(Honky Tonk Wayne)に変身[12]。デビッド・シュルツとのメンフィス・マフィア(Memphis Mafia)などで悪名を売り、ダイナマイト・キッド、デイビーボーイ・スミス、ブレット・ハート、レオ・バークらと抗争を繰り広げ、カルガリーハリケーンズのスーパー・ストロング・マシーンや高野俊二とも対戦した。1986年6月20日にはバッドニュース・アレンからフラッグシップ・タイトルの北米ヘビー級王座を奪取している。

 



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